371:地獄絵図弁当

地獄絵図だった。
セイカノートの3代目で取締役だった俺がバンダイナムコソリューションズの立ち上げに参加すると言う名目でバンダイに転籍し

大々的にバンダイナムコソリューションズの社名の御披露目会までした。

希望に溢れていた。

バンダイで人脈を作り、3年後に社長として戻る規定路線を思い描いていた。

しかし、その3年の間にセイカは解散し、サンスター文具に吸収された。

バンダイナムコソリューションズの話は頓挫したまま3年が経ち契約解除

行く先を失った。

そのまま、減給を受け入れ残る手もあった。

帰巣本能がそうはさせなかった。

47歳、年男、娘の幼稚園入園、楽しみな年になる筈だった。

4月サンスター文具の倉庫でセイカの物流の立ち上げにバンダイの半分の給料で参加した。

8ヶ月放置

その間、86キロあった体重は60キロに減り、倉庫の冷たい風は弱い肺を襲い炎症を余儀なくされた。

セイカの重い荷物を運ぶ仕事は誰もやりたがらず、独り倉庫で闘う日々

弁当は毎日、卵に茹でた人参だった。

何年振りだろう。

相変わらず鮮やかな色合いの組み合わせがそこには有った。

これが俺の生きる証

肺炎で40度を越える熱が出た朝、熱冷ましを飲んで荷物を運んだ。

止めどなく溢れるアオタンが体の異常を訴えていた。

1週間後病院に行くと肺炎はピークを過ぎ治りかかっていた。

思えば死ぬところだった。

悔しさが生きさせた。

家族が生きさせている。

黄色と橙色のグラデーションが御先祖様の励ましだったのだろうか?
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俺には緑も必要だ( ´∀`)

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